fm VenusのブログⅡ

私たちの本当の敵は何処にいるのだろうか

山本五十六は生きていた

まさか日米開戦のさなかに内通者(工作員)がいたとは、それが英雄視されていた山本五十六だったとは、内通者は山本五十六だけではない。



ヤコブ・モルガン・著「山本五十六は生きていた」より一部引用します。



山本五十六は真珠湾奇襲攻撃でルーズヴェルトに協力


【連合艦隊司令長官に就任した山本五十六は日米開戦はもはや避けられないものとして、いつの間にか真珠湾攻撃を口にするようになる。


 欧州ではすでに昭和14年(1939年)9月3日、第2次世界大戦が勃発してドイツが破竹の進撃を続けていた。欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトの基本戦略であった。


ルーズヴェルトは英首相チャーチルと共謀して日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激昂させ、その怒りで対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。
フリーメーソン山本五十六はルーズヴェルトとチャーチルに協力してハワイ奇襲攻撃の構想を練ったのである。


アメリカ大統領ルーズヴェルトはこの奇襲攻撃を事前に知っていた。日本の外務省が使用していた「紫暗号(パープル)」はアメリカに筒抜けであったが、この裏には日本に暗号解読の協力者がいたと見なければならぬ。


 真珠湾に集結していた米太平洋艦隊は、主なもので戦艦が8隻、重巡1隻、軽巡3隻、そして駆逐艦5隻で、総計17隻であった。


不思議なことに空母レキシソトンはミッドウェーに飛行機を輸送中であり、エンタープライズはやはり飛行機を輸送しての帰路で不在、サラトガはアメリカ本土西海岸にいたために無事であった。


 被害を受けた戦艦はいずれも1910~1920年代に就役した旧式艦であり、しかも攻撃し易いようにわざわざ真珠湾に沿って一列に並べて停泊してあった。


戦艦アリゾナは撃沈、他の艦は転覆、海底沈座、大破、中破、小破などの被害を受けたが、真珠湾は海底が浅く、海底に沈座した戦艦等はいずれも引き上げが容易で、短期間のうちに修理、再就役し、太平洋戦争中期からは攻撃力を発揮したのである。


こうしてみると真珠湾攻撃というのは一種の茶番劇であったことがわかる。


山本五十六は真珠湾攻撃の「大成功」により英雄視されているが、その結果残ったものは「日本の卑怯な騙し討ち」という非難と、アメリカの対日積極参戦の意識高揚、そして今も観光地ハワイの真珠湾海底に沈む戦艦アリゾナの残骸だけである。


この時死んだアメリカ兵2403名は今でもアメリカ人にとって対日憎悪の原因となっている。


真珠湾攻撃にはいくつかの不可解なことが起こっている。ひとつは宣戦布告の通知が遅れたこと、そしてもうひとつは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては、これは最初からそう仕組まれたものであったと言うほかはない。


大使館側にも深い疑惑は残る。大使館員十数人全員が、まるで事の重大性をわきまえぬ無神経かつ怠慢な動きをとっていることだ。これは一体何を物語るものであろうか。答は2つ。外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、さもなくば確信犯であったということである。おそらく真相は後者であろう。


 戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が、帰国するなり吉田茂外相にこの最後通牒手交遅延の責任を明らかにするよう進言したが、吉田は結局この件をうやむやに葬り去ってしまった。吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶のひとりフリーメーソンであった。当時の日本大使館員たちは戦後いずれも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。


 日米開戦の最後通牒が遅れ、真珠湾攻撃が卑怯な騙し討ちになったことで、アメリカ人の世論は開戦派が以前の3%から90%にはね上がっている。日本外務省と大使館の責任はまことに大きいと言わざるを得ない。


戦後「山本五十六を見た」という多くの証言・ブーゲンビル島上空における「戦死」は偽装⇨山本五十六は生きていた�C〜ヤコブ・モルガン


東京裁判においてA級戦犯として処刑されたのは帝国陸軍の軍人でした。帝国海軍の軍人はいません、やはりアメリカと内通していたからなのでしょう。


内通者はいたるところにいたわけですが、何よりも国家の権力者がフリーメーソン・イルミナティーの傀儡だったのかもしれないのです。


参考程度にどうぞ、⇩⇩



太田龍 昭和天皇はイルミナティ世界権力の道具だった






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