「国民の個別的自衛権と集団的自衛権についての認識 」と 「憲法学者が自民党改憲案の本質に迫る」
日本を守るためには、現行憲法では不十分であるという考え方と集団的自衛権の行使が認められたら、日本の自衛隊がアメリカの起こした戦争に巻き込まれるという二つの考え方があると思います。皆さんはどうお考えですか?今回は問題提起だけにしたいと思います。
個別的自衛権と集団的自衛権について国民はどのように認識しているのでしょうか?
次の記事わかりやすかったので引用します。
いまさら聞けない「集団的自衛権って何ですか?」〜日本の常識は世界の非常識だった…http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48150
「まず一般的な国民の理解を確認しておこう。
個別的自衛権については、一般に日本国民は「やっていい」と考えている。つまり、憲法9条も許していると考えている。敵が日本国内に攻め込んできたら、いくらなんでも反撃できるだろうと。
それに対して、集団的自衛権はダメ。憲法9条は、集団的自衛権は許さない。アメリカがやる勝手な戦争−−それも何千キロも離れたところの−−に日本が巻き込まれる、と。
つまり、個別的自衛権だったら、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利という日本国憲法上の要件からもOK。でも、集団的自衛権は、モロ“戦争”だからダメ……そういう感じになっているのではないだろうか。
日本人の心理では、個別的自衛権と集団的自衛権の間に、非常に大きな壁が存在する。
しかし、国際社会では、以下に見るようにまったく別の形で理解されているのだ。
「集団的自衛権」という語彙が記されている国際法は、国連憲章しかない。
国連は、地球上で起こるすべての殺傷行為を、人権というたった一つの価値観から刑事事件として扱い、裁ける世界政府には、まだなっていない。国連の実態は、中国を含む戦勝五大大国(米露英仏中)が、二度と、日本やドイツのような不埒な侵略者の出現を許さないために、地球上すべての国連加盟国の「武力の行使」を統制する、という世界統治システムである。
もし侵略者が現れたら、国連全体でぶちのめしに行く、それが国連的措置である。
ただ、その戦勝五大大国の王様クラブである国連安保理が集団安全保障を決めるには、どうしても時間がかかる。その間に暫定的に行使を許されているのが、個別的と集団的の二つの自衛権だ。
王様クラブが協議しているうちにやられちゃうと困るから、とりあえずやっていいよ、でもチョットの間だけ、と許されているのが自衛権なのだ。繰り返すが、それを許す王様クラブでは、中国がメンバーだ。」引用終わり。。。(つまり国連なんて信用できるはずはありません。)
自民党改憲案の本質、憲法学者の見解です。
自民党の改憲案で自衛隊を憲法に明記する理由は「自衛隊の名誉のためである。」ということですが、憲法学者の木村草太氏は「自民党の改憲案の本質は自衛隊の名誉のためではなく集団的自衛権の行使を憲法上認めることにある。」と分析しています。
いろんな議論がありますが、参考にどうぞ。