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私たちの敵は何処にいるのだろうか・光と影の話

靖国神社は、田布施村出身の朝鮮民族による日本民族弾圧のシンボルという説

私たち日本人は明治維新以降、騙され続けてきたのかもしれません。「靖国神社は朝鮮民族による日本民族弾圧のシンボル」は事実なのでしょうか?



以下、【真実の日本の歴史】より転載します。http://www.link-21.com/history/src/013.html



靖国神社は田布施村の守護社


靖国神社は、「靖国で会おう」と誓った太平洋戦争で亡くなった日本兵の心の拠り所としてのシンボルとして考えられています。また、A級戦犯が合祀されていることから、日本の首相参拝が行われる度に、中国、韓国、北朝鮮の3カ国は激しく反発しています。


しかし、事実は真逆であり、靖国神社は、田布施村出身の朝鮮民族による日本民族弾圧のシンボルであり、かれらの謀略で殺された孝明天皇や、日露、日清戦争、そして、太平洋戦争で戦死していった日本の若者の怨霊を封じ込める、招魂の儀式の場です。


靖国神社は、1869年6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、1879年に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。


明治天皇は、当時の山口県田布施村出身の大室寅之祐。1866年、孝明天皇と明治天皇となるはずだった睦仁親王が、同じく田布施村出身の長州藩士によって殺害。1869年の東京遷都で、大室寅之祐が新明治天皇として正式に御所ですりかわって即位しました。


招魂とは、彷徨える御霊を招き、この世での未練を断ち切らせ、あるいは自分の肉体が既にこの世には無いことを教え、死者の国(常世の国あるいは黄泉の国)へ行かせる儀式です。


*鎮魂とは、「(み)たましずめ」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める儀式であり、魂を外から揺すって魂に活力を与える魂振(たまふり)を含めて鎮魂という。


招魂の儀式は、江戸幕府が管理していた陰陽道ではない。この儀式は朝鮮人の儀式である。


孝明天皇と睦仁親王を殺害して明治天皇にすりかわった大室寅之祐と、それに関わった三条実美、伊藤博文 西郷隆盛らは、李王家の家臣を祖とする両班派閥で、謀略で殺した孝明天皇と睦仁親王の招魂が必要だと考えました。彼らは、大村益次郎に命じて東京招魂社を建立します。


その後、田布施村出身の長州藩士を中心とする明治政府に反旗を翻した西南の役で戦死者を招魂し、1879年に靖国神社に改名します。靖国神社は、1853年のペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」という詭弁を弄して、彼らの怨念を封印する招魂の場となったのです。


征韓論で下野していた西郷隆盛は、孝明天皇を殺害して明治天皇をすりかえた張本人であり、西南の役では反乱軍である士族の人質だったのではないでしょうか。つまり、西郷隆盛の骨は靖国に招魂されていません。かれは、鹿児島の南州墓地で、高麗町出身の両班派閥の墓に守られています。


つまり、靖国神社は、田布施村出身の政府要人の神社であり、それは彼らに利用され殺された日本人の怨霊を招き封印する場です。。


だから、東京裁判で死刑判決を受けた東条英機ら7人の遺骨は、1960年、殉国七士廟として愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山に祀られたのです。


昭和天皇は、1975年を最後に参拝をしていません。それは、、A級戦犯の合祀問題に隠された事実を昭和天皇が知ったからでしょう。


田布施村出身の松岡洋右は、1978年に、殉国七士廟の遺骨を靖国神社に合祀しようとした際に、昭和天皇はこれに強く抗議しました。これは、A級戦犯に対する昭和天皇の怒りのように報道されていますが、事実は真逆で、靖国神社が、田布施村出身の朝鮮民族に利用された日本人の怨霊を閉じ込めるためのものであるからです。A級戦犯の合祀問題で、昭和天皇はこの事実に気がついたのでしょう。


[転載終わり]



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