fm VenusのブログⅡ

私たちの本当の敵は何処にいるのだろうか

南京事件 兵士たちの遺言

日本テレビ NNNドキュメント15 シリーズ戦後70年


「古めかしい革張りの手帳に綴られた文字。それは78年前の中国・南京戦に参加した元日本兵の陣中日記だ。ごく普通の農民だった男性が、身重の妻を祖国に残し戦場へ向かう様子、そして戦場で目の当たりにした事が書かれていた。ある部隊に所属した元日本兵の陣中日記に焦点をあて、生前に撮影されたインタビューとともに、様々な観点から取材した。」


兵士の証言(陣中日記)上官からの命令(捕虜殺害)に従わなければならなかった現場の苦しみと悲しみが伝わってきます。証言は事実であると私は感じます。




南京事件 兵士たちの遺言





戦後70年の2015年に放送した「南京事件」の 続編です。
NNNドキュメント「南京事件Ⅱ」






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アメリカに何も言えない日本の現状を伝えます。

ついにオスプレイが10月1日から東京の空を飛ぶことになります。


日本に駐留している米軍に関して、日本には主権がないのです。こんな国は他にはありません、いまだにアメリカによる占領体制が続いているとしか思えません。これは左翼とか右翼の問題ではなく主権の問題なのです。


問題は国民が日米地位協定などに関心を持たないことです。私たちはこの事実に気づいて目覚めなければならないのです。


米軍横田基地に10月1日配備 (そもそも総研より)


「主体的に 国防 を考えるというのはどういうことか。米国と対等に考えるということ。国防上リスクがある時にNOといえるのが主権国家」
伊勢崎賢治(元国連職員)





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(昨年の記事、再投稿、追加動画あり)ロシア革命の真実「ロシア革命はユダヤ革命だった」


ロシアはかつて共産主義思想を掲げる国家でした。東西冷戦時代アメリカと対峙する強力な軍事国家として長らく存在してきました。ロシアをソビエトにした共産革命は一般的には労働者階級が支配階級に抑圧されたことに不満を持ち支配階級に対抗する革命だと言われてきたと思います。1905年の第一次革命、1917年の第二次革命が起こり、ついにはソビエト連邦共和国ができたわけです。


ロシア革命100年 100 Years Since Russia’s Revolution(日本語字幕)字幕ONでご覧ください。(短い動画ですので、歴史的な中身よりも雰囲気を感じてほしいと思います。)




しかし実際その革命とは如何なるものだったのでしょうか?駐日ソ連大使館に勤務していた元ソ連外交官(アレキサンドル・イワノフ氏)が語った内容は驚くべきもので私たちがおよそ知っている労働者階級の革命ではなく、真実はロシア人とユダヤ人の民族闘争だったというのです。ここでいうユダヤ人とはアシュケナージ、ユダヤ人のことで、ハザール系ユダヤ人、偽ユダヤとも言います。



プーチン大統領は次のように語っていました。


「初期のソビエト連邦政府のメンバーは80〜85%がユダヤ人、偽の思想に導かれたユダヤ人は、ユダヤ教徒、クリスチャン、イスラム教徒などを弾圧しました。
視野の狭い空論と偽の思想が崩壊したことを神に感謝します。」


この偽の思想に導かれたユダヤ人とは紛れもなくハザール系の思想を受け継いだユダヤ人のことです。


露プーチン大統領「初期のソビエト連邦政府のメンバーは80〜85%がユダヤ人、偽の思想が崩壊したことを神に感謝します」(日本語字幕)




当時のソ連において政権を担っていたのはロシア人ではなくハザール系ユダヤ人だったので当然ロシア国民からすればロシアはユダヤ人に乗っ取られていたと見ていたことでしょう。



1953年ジューコフ元帥の軍事クーデターでユダヤ勢力が弱体化、ソ連崩壊へ


スターリン死後の1953年6月26日、ジューコフ元帥の軍事クーデターで国家保安省本部を占拠しベリヤとカガノビッチらを逮捕したことによりユダヤ勢力は弱体化されました。カガノビッチはハザール王室直系の子孫でスターリンの片腕といわれた人物です。


(1953年に軍事クーデターがあったとは驚きです。ジューコフ元帥は間違いなくロシアのヒーローでしょうね。)


そしてソ連崩壊に至った1991年8月のクーデター(ソ連8月クーデター - Wikipedia)は「ユダヤ第二革命」が失敗したのだと元外交官アレキサンドル・イワノフ氏は語っています。


ソ連8月クーデター(ユダヤ第二革命が失敗し、ロシア国民がユダヤ勢力から主権を取り戻した記念すべき日です。)



ロシアはユダヤ勢力を排除してロシア人によるロシア人のための国家になったというのが事実のようです。(ペレストロイカ・ソ連崩壊については下記の記事「元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌」をぜひお読みください。)


多くのロシア国民は当時ソ連での悲惨な体験を味わっています。二度とユダヤ人に乗っ取られる様なことがあってはならないと思っているはずです。つまり主権を取り戻したソ連崩壊後のロシアはハザール系ユダヤ人が入る隙を与えない国家になったのではないでしょうか。現在の強い国家ロシアの理由はここにあるのだと思います。




ロシア革命の真実が次の記事にあります。


元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌


[旧ソ連時代、駐日ソ連大使館に勤務する外交官だったアレキサンドル・イワノフ氏は、1993年夏に日本を訪問しました。そして全国各地で講演を行い、これまでのロシアでは何が起きていたのか、今のロシアで何が起きているのか、そもそもロシアの「ユダヤ問題」とは何であるかについて、熱を込めて語りました。


イワノフ氏はモスクワ大学を卒業し東京大学大学院を修了した、日本事情にも詳しいロシア人外交専門家です。彼の講演には、私たち日本人がおよそ耳にすることのなかった驚くべき内容が数多く含まれていました。彼は私たち日本人に、知られざるハザール系ユダヤ人とロシア人の戦いの歴史を余すことなく語ってくれたのであります。


以下は、彼が行った講演内容をまとめたものです。


どうぞお読みください。⇩⇩⇩





※動画を追加します。ロシア最後の皇帝の死から100年


「今から100年前の1918年7月17日未明、エカテリンブルクでロシアの皇帝ニコライ2世とその家族が調査も裁判もなしに銃殺された。彼らの埋葬地は60年以上にわたって謎のままだった。」「この100年間でニコライ2世に対する大多数のロシア人の考えは大きく変化した。2000年、ロシア正教会はニコライ2世とその家族を聖人に認定した。」









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カーチス・ルメイ(アメリカ軍) 日本本土に焼夷弾の雨を降らせ、 100万人を焼き殺した張本人。

カーチス・ルメイ(アメリカ軍) 日本本土に焼夷弾の雨を降らせ、... - Koichi Shimamura | Facebookさんのフェイスブックより引用します。



日本政府はルメイに対し、「航空自衛隊の創設に貢献した」という理由で、勲一等を授けています。(下の画像)




カーチス・ルメイ(アメリカ軍)日本本土に焼夷弾の雨を降らせ、100万人を焼き殺した張本人。



第二次大戦中のヨーロッパ戦線。米軍爆撃隊の兵士達は、対空砲火の精密さや迎撃戦闘機の高性能ぶりなど、ドイツの防空能力の高さに恐れを抱いていました。そして、「整備不良」の爆撃機が次々出る始末。


みんなテキトーな事言って、戦場に行きたがらなかったのです。見かねた上官、自らも戦闘機に乗り込み、爆撃に出撃します。


そして、爆撃隊の後ろにピッタリと張り付き、上官は言いました。「逃げる奴は撃ち落す。私に殺されるか、 ドイツ人を殺すか、さあ選べ」その鬼畜な上官が、後に少将となるカーチス・ルメイでした。


ルメイはその後、太平洋戦線に転属となります。


着任早々、ルメイは「軍事施設への精密爆撃では手緩い。無差別爆撃だ」と言い出します。そして、日本の都市部への低高度からの無差別絨毯爆撃を立案しました。


当然、部下達は反対しました。高高度爆撃に特化した新型爆撃機、B-29が配備されたばかりだったからです。B-29を使って低高度爆撃を敢行するということは、狙撃銃で突撃して格闘するようなものです。


普通はそんな事しない。でもルメイは聞く耳を持ちませんでした。低高度からの絨毯爆撃によって確実に日本人を虐殺し、日本の戦意を減退させるのが、もっとも合理的と考えたのです。


ルメイは更に、日本本土爆撃のために、焼夷弾を新たに開発させました。関東大震災の際の日本家屋の燃え方を検証し、最も燃える爆弾を作りました。


本土爆撃が始まります。燃料は行って帰って来れるだけの最小限、焼夷弾は最大積載、当時の最新技術が詰め込まれたリモコン制御の銃座を外し、その分焼夷弾を積み、より多くの人間を殺せるように夜間爆撃に絞りました。


1945年3月10日。首都・東京への大爆撃が敢行されます。低空で首都上空に侵入したB-29約300機は、まず、集中爆撃箇所の周囲四方6キロを爆撃、人々の退路を断った後、その中に焼夷弾をひたすら投下しました。。


かくして、大爆撃は一晩で10万人を殺戮し、3月10日に行われた空襲一日だけで東京の4割が壊滅し、26万戸が焼け百万人が家を失った。


その後4月と5月に2度の空襲が行われたが、これによって完全に焦土と化した東京は、もはや魅力のある目標ではなくなり戦略目標からはずされた。


この死のじゅうたん爆撃は、それを皮切りに日本のすべての都市に向けられていく。名古屋、大阪、神戸などが時期を同じくして壊滅していった。


ですが、大火災による火災旋風に(低高度爆撃ゆえに)巻き込まれたり、対空砲火で撃墜されたりなど、米軍側の被害も甚大なものでした。


部下や戦友を失った兵士達はルメイに詰め寄ります。「低高度爆撃のせいで多くの仲間が死んだ!」と。でも、ルメイは冷静に言います。


「何と言われようが、低高度爆撃は有効だ。昨晩は何万人も殺せただろう。作戦は成功だ。日本の都市を全て燃やし尽くす」


その後も、日本の主要都市に対する大規模爆撃は続きました。


やっとそれが落ち着いたのは、基地にある爆弾の在庫が底をついた時でした。
でもルメイは「まだ日本は灰になっていない。もっと爆弾をくれ」と要請し続けたそうです。


非戦闘員の虐殺は立派な国際法違反ですが、ルメイは「日本人はみんな戦闘員だからいいんだよ!」という強引な論理で、それを捻じ伏せています。


その後ルメイはベトナム戦争の際の北爆を指揮します。「ベトナムを石器時代に戻してやる」と高笑いしていたという。


日本はルメイに対し、「航空自衛隊の創設に貢献した」という理由で、勲一等を授けています。



昭和天皇が日本に米軍駐留を望んでいた理由とは(一つの説にすぎませんが。) 


裕仁が当時一番恐れていたことは,こういうことであった。「共産主義による革命で天皇制が脅かされることをなによりも恐れた天皇は,アメリカ軍の駐留が必要であることを誰より痛感していた。もとより,天皇にとって自らの命より,天皇制存続こそが最重要」であった。http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1060630860.html?p=3



写真は,敗戦後の地方巡幸で1949年5月29日,福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川坑の切り羽を訪れた昭和天皇。アメリカ人が彼に向けたカメラに対して笑顔を作った裕仁の表情である。(この笑顔の意味とは?)
http://c.nishinippon.co.jp/photolibrary/cat662/cat2/








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西欧諸国に保護されるホワイト・ヘルメットとウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジの危機

シリア国内で猛威を振るっていたテロリストたちは、現在米軍の支援がない状態が続いており、衰退の一途をたどっています。


そして、ロシアの支援を受けている「シリア・アラブ軍」(シリア政府軍の正式名称)の猛攻によって降伏した反政府軍とテロリスト達は武装解除後、国外に去っています。


シリア国内で、テロリスト達の支配地域で活動していたNGOのホワイトヘルメットについては、イスラエルが積極的に、この組織の亡命を認めて受け入れを始めています。(もちろんホワイトヘルメットに限らず他のテロ組織なども受け入れていると思われます。)


カナダとドイツも受け入れを表明していますが、ドイツでは議員の間から「テロリストを受け入れず、アサンジ氏を受け入れるべきだ」という意見も出ています。RTニュースをご覧ください。


ドイツはホワイトヘルメットに亡命者として認めようとしているが、アサンジについては亡命を認めないのかと何人かの議員は疑問視している。(RTニュース、日本語字幕)




サウスフロントニュースはシリア国内の戦闘状況を毎日詳しく更新しています。ご覧ください。サウスフロントニュースより動画を引用 → https://southfront.org/


シリア内戦報告 2018年7月23日:イスラエルはホワイト・ヘルメットのメンバーをシリア南部から避難させる。(日本語字幕)




米露首脳の会談では、シリア情勢以外に、ウィキリークスとアサンジ氏が議題に上がっていたと思います。残念な結果にならないことを願います。




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